2011年10月9日、甲冑で歩く「信長時代行列」

甲冑工房が活発に活動が行われるには、
それなりの理由もあったようです。

清洲町時代には土木事業などが十分に行われていなかった割に
現在の清洲城の建設やお祭りなどに力が入っていたようです。


中でも織田信長を中心にした時代行列は
甲冑なども外部事業者から借りるなどして
1000万円ほどの予算が掛かっていたと伝え聞いています。



しかし財政が一段と厳しかったこともあり、
時の町長が傲慢さなどを理由に、三選を果たせずに
共産党系町長が誕生したことを契機に一時中断しました。


そこで、住民有志が、
お金がないなら力を貸そうというので
甲冑を作って、それを参加者に着せようということになり、
甲冑師の指導を仰ぎ甲冑工房の活動が始まったと聞きます。


その甲斐あって、住民の関心も大きくなったようです。
もちろん合併して、一時的な要因として
旧の他町に対して関心を呼んでいることはありますが、
そこを承知で、今後の旧町間の結びつきを
どのように強めていけるのかにかかっています。