尾張国清須住の職人たち

かつての清須には尾張の中心として栄えたことから
甲冑師や刀工・鍔工などがいました。

刀工では、
若狭守氏房・・・関七流の祖、善定家の善済兼房の三男として
            天文三年岐阜に生まれ、京三郎という
            永禄13年若狭守を授領
            織田信長の抱え鍛冶となり、清須、安土に追従
            信長が斃れた後、岐阜、清須に転住
            刀・短刀に優れ、尾張新刀というべき存在

飛騨守氏房・・・若狭守の子で、信長の臣
            天正16年22歳で清須に戻り、
            鍛冶業を収め、天正20年に飛騨守を授かる    
            慶長15年以降名古屋に移住

・ 信高(のぶたか)・・・三河弥兼国の末流兼高の子として美濃国に生まれ、
            河村左衛門という。
            天正年間に清須鍛冶屋町左門屋敷に移り、
            信長の信を賜り、信高と改める
            伯耆国を授領するも天正9年説、同20年説あり
            慶長15年名古屋に移住
            刀・短刀・槍は極めて少なく、
            脇差に優れたものがある

・ 政常(まさつね)・・・奈良太郎兼常の次男として美濃国に生まれ、佐助と称した
            永禄16年小牧に移住し、刀工銘は兼常
            池田輝政に仕えて、一字を貰い政常と改める
            後に、福島正則の召に応じて清須兼常町に移る
            一旦入道したものの、二代目政常の早逝で
            再び鍛刀に従事し、相模守政常入道と銘を切る
            慶長15年名古屋に移り、尾張徳川家に仕える
            槍・小刀に優れる

・ 寿命(としなが)・・・祥兆銘として珍重される
            初代岩捲寿命は美濃国関から清須鍛冶屋町
            に移住、その後名古屋に転任

の名が有名ですが、現在の清洲城には1振りがあるだけだといいます。
ちょっと残念ですね。。。

初代信高、飛騨守氏房、相模守政常尾張三傑と言われたといいます。

せめて3振りはそろえてもらいたいですね。